アクチュアリー,確率論,保険料計算原理,損保数理のテキスト再訂正

今日は私のtwitterでの投稿がちょっとした議論になっているのでそれを総括した後で、損保数理の保険料計算原理について損保数理の受験者にもお役に立つ情報も交え考えてみたいと思います。

http://twitter.com/actuary_math/status/5824671799

「どこかのブログで(ルベーグ積分論の先の)確率論が難しいからアクチュアリーはあきらめると書かれていました。自動車のメカニックが難しいから自動車運転免許の取得はあきらめるとおっしゃっているようなもので大変残念です。」
と書きました。


この「つぶやき」に対する反応を拝見していますと、誤解を招いている部分があったかも知れないので補足しておきます。


まず、若干舌足らずだったのですが、引用したブログの筆者は、
ルベーグ積分は分かる」が「確率論苦手」
ということから
アクチュアリー」は「諦めます」
という書き方をされていました。


このような背景の一つには、就職・転職系のサイトなどのアクチュアリーの紹介
(たとえば、
http://www.rikeinavi.com/11/event/detail.php?entry_no=131
)で「アクチュアリーは確率論や統計学といった高度な数学理論を駆使して・・・」などという書かれ方*1をすることがあると考えます。

(日本の特に損保の)アクチュアリーの現行の実務で測度論的確率論を使ったり測度論(ルベーグ積分論)のお世話になったりすることはあまり多くありません*2

(2010/1/16 追記)
http://twitter.com/s_iwk/status/6980603978
のような御指摘もあった(生保で使われる価値評価であるEV(Embedded Value)で使われるとのこと。損保ではEVは出している例は見たことがありません。)ので若干表現を修正しました。


ただし、(特に損保では)「確率論」以前の積分を使う確率分布の知識*3を使うことがない訳ではなく、そういうのを「車の運転」に例えた次第です。


さて、測度論的確率論その他の理論を保険に適用しようという動きもあります。損保数理テキスト第7章の「保険料算出原理」などがその一例です。
ただし、実際のところこの「保険料算出原理」は現時点では、実務の(相当)先を進んでいる*4ものです。


http://d.hatena.ne.jp/actuary_math/20091031
でも書いたようにVaRやTail-VaRについては実務上も頻繁に用いられますが、それ以外のエッシャー変換、ワン変換等を用いることは、今のところは、まずありません。
教科書ではエッシャー変換が対数正規分布に適用できないなどの問題点の指摘がありますが、それ以上に大きな問題点は
パラメーター(教科書の記号ではh)の位置づけが明確でない*5
あるいは、
パラメーターの決定方法の基準が示されていない
ことにあります。


金融取引においては金融市場のデータから効用関数を求めパラメーターを求めていると理解していますが、保険には市場が「(事実上)ない」*6のでそうした手法を適用することは困難です。


以上のように、現下の実務上、より大事なものは、この教科書の前文で「基礎的な知識」とされている部分に少なからずあるのですが、損保数理を受験される方にとって「試験に出る可能性があるため」大事と思われる点を列挙して纏めたいと思います。

具体的には、
(1)それぞれの算式の記憶(pp.7−1〜7−3)
(2)「保険料算出原理が満たす性質」の記憶
(3)正規分布と対数正規分布のワン変換の結果の記憶*7
(4)エッシャー変換を簡単に算出できる
\frac{E(X\exp(hX))}{E(\exp(hX))}=\frac{M'_X(h)}{M_X(h)}=\{\log(M_X(h))\}'
の記憶。
(これを使うと、例えば、ガンマ分布\Gamma(\alpha,\beta)エッシャー変換が\frac{\alpha}{\beta-h}と簡単に出すことができます。)
といったところになるでしょうか。


ちなみに、上式で、
E(X\exp(hX))=M'_X(h) \, (h>0)
は教科書p.7−10でごく当然のごとく書いていますが、実は
\int \frac{\partial}{\partial h}\left{\exp(hx) \right}dF(x)=\frac{\rm{d}}{\rm{d}h}\left{ \int \exp(hx) dF(x) \right}(ただしF(x)Xの分布関数)
という微分積分の順序交換にあたり、それこそルベーグ積分論を使わないと証明できません。*8

証明は例えば
http://elis.sigmath.es.osaka-u.ac.jp/~aida/lecture/18/Lebesgue-text1.pdf
の定理7.10をご覧ください。


と、この記事を書いている際にアクチュアリー会のサイトをみていたら、
損保数理のテキストでまた訂正があったようです。
http://www.actuaries.jp/info/sonposuuri_seigo_H21_2.pdf

*1:さすがに「本家」(?)の日本アクチュアリー会での紹介サイト http://www.actuaries.jp/actuary/index.html にはそのような記述はありません。もっともこの紹介文を読むときには注意が必要なのですが、それは別の機会に申し上げたいと思います。

*2:本ブログで稀にルベーグ積分論の結果を引用していることもありますが、それらはそういう知識があれば試験で有利になることがあるというだけの話で決定的なものではありません。

*3: http://actuary.upthx.net/pukiwiki/index.php?1.1.1.2.5.%CF%A2%C2%B3%B7%BF%B3%CE%CE%A8%CA%D1%BF%F4%A4%CE%CE%E3 に出ている程度+α

*4:実際テキストには、「詳細は測度論的確率論の文献を参照のこと」という記述が何箇所かあります。また、例えばp.7−8の下から6行目の\exp\{-\lambda_j(X_j+Y_j)\}=WE[\exp\{-\lambda_j(X_j+Y_j)\}]とあるのは、完全なイコールではなく「ほとんど至るところ(測度0の集合を除いて)等しい」なのですが、そのような事実は読者が(ルベーグ積分論を知っているとして)適宜補完する前提となっています。

*5:例えば、VaR99%だと「100年に一度の災害」というように数学を知らない人にも説明することが可能です。そして数学を知らない人にもわかるように説明できるということが実務上大事になることがしばしばあります。そのことは損保数理の教科書には書かれていないので「基礎的な知識」ということに分類されていると考えられます。

*6:再保険取引市場を「市場」と考えることもできますが、すべての保険が取引されるわけではないし、取引実態が、金融市場、特に、上記の理論で仮定している完備な市場と呼ぶには程遠いものです。

*7:これ以外の分布については簡単な関数で書けないことに注意しましょう。ワン変換が理論上できるということと実際の計算とはまったく別次元の話です。

*8:ご存知の方には当然の話でしょうが、他とのバランスでいえば「詳細は測度論(ルベーグ積分論)の文献を参照のこと」とでもするところでしょう。