日本の損保アクチュアリーの歴史に関する諸考察(1)

●今回の要点

日本の損保アクチュアリーの歴史を考える上では、
(1)積立保険の誕生(1963年)と長期総合保険の発売(1968年)
(2)積立型基本特約の誕生(1986年)
(3)年金払積立傷害保険の販売(1992年)
(4)保険業法の全面改正(1996年)とそれによる損害保険会社への保険計理人制度の導入
(5)損害保険料率の自由化(1998年)
(6)第三分野の相互乗り入れ(2001年)
(7)自然災害リスクに対応した責任準備金積立ルールの整備(2005年)
(8)損害保険会社の保険計理人の業務範囲の拡大(2006年)
という8つの重要な事実があるが、中でも(欧米にはない)積立保険の誕生は日本で損保アクチュアリーが誕生するきっかけとなったものである。
積立保険のウエートは年々低下しており、他方、損保アクチュアリーの業務領域は拡大しつつあるが、積立保険は日本の損保アクチュアリーの「原点」であり、今後も日本のアクチュアリー試験の「損保数理」において、積立保険の問題は引き続き毎年出題され続ける可能性が高いと考えられる。

今回から4回程度にわたり
日本の損保アクチュアリーの歴史
を考えてみたいと思います。

きっかけは、
アクチュアリー受験研究会
http://pre-actuaries.com/
を主宰するMAHさんが
http://pre-actuaries.com/modules/d3blog/details.php?bid=63

でもいまさら積立保険だけ出さなくても良いように思います。新分野を追加した分、出さない部分もある程度作ってほしいですね。(個人的希望)

と書かれ、それに私が
http://twitter.com/actuary_math/status/10220152863

ブログ拝読いたしました。積立の廃止についてお気持ちは理解いたしますが、積立保険は損保アクチュアリーの「原点」ですので廃止する可能性は低いと考えます。確約はできませんが QT @magicianmah リスクセオリーの基礎の書評をアップしました http://j.mp/dmkOUg

と返したところ、
http://twitter.com/magicianmah/status/10220352370

積立保険が損保アクチュアリーの原点とは知らなかったです。そのあたり歴史を教えていただけると嬉しいです。

というTweetを頂戴したことによります。


MAHさんが「積立保険が損保アクチュアリーの原点」であることをご存知ないとすると、今の学生さんや業界に入られたばかり方々は(そして、生保アクチュアリーの多くの皆様も)積立保険と損保アクチュアリーとの関係など全く想像もつかないことなのではないかと考えられます。
積立保険のみならず損保アクチュアリーに関する歴史的事実の中には、アクチュアリー試験の損保数理の出題の「予測」に役立つものも含まれる*1のですが、今のアクチュアリー試験の損保数理の教科書ではその辺りの記述が全くないため、例*2によって「損害保険業全般にわたる基礎的な知識」に属する事項と考えられますが*3、それを書いてある文献を探すのは意外と大変でもあります。*4


そこで今回から数回にわたり日本の損保アクチュアリーの「歴史」を考えてみたいと思います。
宰相ビスマルクの言葉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF#.E8.AA.9E.E9.8C.B2

「賢者は歴史に学び、愚か者は体験に学ぶ」
というのがあります。
今回から数回のお話は、私にとっては、かなり「体験」を含む内容で、愚かな「昔話」になることを危惧するところですが、学生さんや業界に入ったばかりの方々には「歴史」にもなりうると思い直した次第です。
賢者の皆様が「歴史」から何か1つでも学ばれる
ことがあれば幸いです。


大分、前置きが長くなりましたが、
日本における損保アクチュアリーの歴史の転換点となった(ている)事実は以下の8つだと考えます。
(1)積立保険の誕生(1963年)と長期総合保険の発売(1968年)
(2)積立型基本特約の誕生(1986年)
(3)年金払積立傷害保険の販売(1992年)
(4)保険業法の全面改正(1996年)とそれによる損害保険会社への保険計理人制度の導入
(5)損害保険料率の自由化(1998年)
(6)第三分野の相互乗り入れ(2001年)
(7)自然災害リスクに対応した責任準備金積立ルールの整備(2005年)
(8)損害保険会社の保険計理人の業務範囲の拡大(2006年)


今回は(1)の
積立保険の誕生と日本における損保アクチュアリーの誕生との関係
について述べたいと思います。


まず「損保アクチュアリー」以外の皆様にはほとんど知られていない(かもしれない)事実ですが、

わが国における損保アクチュアリーの歴史は生保に比べると浅く、その誕生は昭和45年ごろ
日本アクチュアリー会(2次試験)テキスト「損保」11-1ページ)

なのです。

さて、損保アクチュアリーの誕生ですが、積立保険がその契機となっています。
例えば、日本アクチュアリー会テキスト「損保」11-1ページでは前掲の文章に続いて

誕生の直接の契機は、第20回国際アクチュアリー会議が昭和51年に東京で開催されることが決定したことであるが、昭和43年に満期返れい金つき「長期総合保険」が損保で発売され、保険数理の専門家であるアクチュアリーが必要とされるようになったことも、損保アクチュアリー誕生の背景として挙げることができる。

と記しています。

つまり、積立保険の保険料算出や責任準備金(払戻積立金、契約者配当準備金)評価でこれまでの損保アクチュアリーに見られない保険数理の手法が使われるようになったので、各損害保険会社では、そのような素養を持つ人材を採用・登用するようになったのだと想像されます。なお、国際アクチュアリー会議は別に損保アクチュアリーだけの会議ではないので、それよりも積立保険の要素が大きかったのではないかと考えます。


少し話はそれますが、数学セミナー2010年1月号*5を読まれた方はそこの54ページで

栗山(引用者注:栗山晃氏、朝日生命保険相互会社、元アクチュアリー会事務局長)●
これからはリスク管理の分野で活躍できると思います。いわゆる第4世代のアクチュアリーです。
伝統的な生保アクチュアリーが第1世代、危険理論を駆使する損保アクチュアリーが第2世代、投資理論を扱う第3世代のアクチュアリー、この次の世代としてアクチュアリーにとっては古くて新しい分野

とあるので、もしかしたら「危険理論」が必要とされたから損保アクチュアリーが誕生したと思われた方もいらっしゃるも知れませんが、上記のとおり、それは歴史的な事実とは一致していないし、「危険理論」と現実の実務との関係は
http://d.hatena.ne.jp/actuary_math/20100307
などで述べたとおりです。

それはともかく、ここで、積立保険の特徴を書いておくと

・保険期間が長期間であること
・満期まで契約が全損失効(保険金の支払いによって保険契約が終了すること)せずに存続した場合には、満期時に返れい金を支払うこと
日本アクチュアリー会テキスト「損保数理」(平成21年7月改定版)6−1ページ)

となるのですが、この本には書いていない(2次試験のテキストにも書いていない)もっと大事な話として、
積立保険は少なくとも欧米の損保では販売していない*6
という事実があります。


欧米の損保アクチュアリーに積立保険の話をすると*7、まず
「(日本の損保では)生命保険を販売しているのか?」
とびっくりされます。*8


欧米人は、保険と貯蓄を明確に分離して捉えているといわれており、(少なくとも損害保険において、)保険と貯蓄をミックスしたような商品が欧米で取り扱われることは少ないとされています。逆に、いざというときの出費に備えるべき(損害)保険に「掛捨」*9という名称を与えるほど貯蓄志向の強い日本だからこそ、積立保険がなじんだことは確かだと考えます。

実際、安田火災*10記念財団叢書No.48「積立保険とディスクロージャー」(平成8年1月 財団法人安田火災記念財団)*111ページ目には

近年*12では積立型商品は、業界全体で、収入保険料ベースでは全種目の約三分の一、資産ベースでは総資産の二分の一強を占めるにいたっている

とあります。


このように隆盛を誇った積立保険ですが、そのウエートは年々低下しています。
例えば日本損害保険協会加盟各社の積立保険の元受正味保険料を
http://www.sonpo.or.jp/archive/statistics/syumoku/
のページにある
http://www.sonpo.or.jp/archive/statistics/syumoku/excel/index/4Q_p_tsumitate.xls
で見ると、
ピーク時の3兆1,663億円(1996年)→7,317億円(2008年)*13
と4分の1以下になっていることがわかります。
一方2008年度の全種目の元受正味保険料が
8兆2,903億円
http://www.sonpo.or.jp/archive/statistics/syumoku/pdf/index/shumoku0903.pdf
なので、ウエートは10分の1以下ということになります。
原因は言うまでもなく、バブル崩壊以降の景気の低迷・低金利によるものと考えられます。


また、次々回以降に述べる予定ですが、損保アクチュアリーの業務範囲が日々拡大しつつあり、積立保険以外で活躍する損保アクチュアリーが増加していることは間違いありません*14


しかし、
(a)積立保険が日本の損保アクチュアリーの「原点」であったこと
(b)(少なくとも)20世紀の日本の損保アクチュアリーの主戦場が積立保険であったこと
(c)積立保険は今も日本で販売され続けていること。また売り止めにしてもその後も維持管理が必要なこと
もまた事実です。


したがって、
日本のアクチュアリー試験の「損保数理」において積立保険の問題は引き続き毎年出題され続ける可能性が高い
と考えています


アクチュアリー試験の損保数理の試験委員の皆様が、積立保険の問題を守っているご様子は、私などには
「都会の高層ビル街の真ん中で江戸時代から続く伝統の味をひたすら守り続ける平屋建ての老舗」
のようにも映り、それはそれなりに味わいがあるとも考える次第ですが、受験者の皆様の中には、そのようなものに(受験期間だけとはいえ)お付き合いをせざるを得ないことをよしとされない方もいらっしゃるかも知れません。


そのような方には、
積立保険の問題は出題範囲が相当限定されている
ことが福音になるのではないかと考えます。
これにはやはり歴史的事実が関係しているのですが、次回はそのようなお話をしたいと思います。

*1: http://d.hatena.ne.jp/actuary_math/20091212 で予想したBHF(ボーンヒュッター・ファーガソン)法と回帰分析の係数のt検定がその年の損保数理の問題でいずれも出題されたのですが、これも歴史を踏まえれば十分予測可能だったことです。

*2: http://d.hatena.ne.jp/actuary_math/20091031 ご参照

*3:しかし、1次試験の損保数理を習得する以前の「損害保険業全般にわたる基礎的な知識」の一部が、後に述べるようにアクチュアリー試験の2次試験のテキストに書かれているのが何とも面妖ですが…

*4:2次試験を損保で受けられる以外の方がそのためだけに2次試験のテキストを購入するのは全く現実的ではありません。

*5: http://d.hatena.ne.jp/ttrr/20100129/1264701195 ご参照

*6:積立保険を販売している損保は日本と韓国だけと言われています

*7:それ以前に英語で積立保険の話をすること自体が難しいのですが…

*8:当然ながら、国際アクチュアリー会シラバスhttp://d.hatena.ne.jp/actuary_math/20080815 )では対象外です。

*9:私個人は「掛捨」という言葉は基本的には使わないようにしているのですが、業界人ですらこのような言葉を使う人がいることは残念な事実として受け止めなければなりません。

*10:現:損害保険ジャパン

*11: http://www.sj-foundation.org/katsudou/sousho/sousho-no_00048.pdf

*12:引用者注:出版が平成8年1月なので平成7年3月期つまり平成6年度あたりのことと考えられます。

*13:これ以外に外国損害保険協会加盟の3社が積立保険を販売していますが、2008年の元受正味保険料ベースで約11億円です。

*14:「積立を知らない(日本の)損保アクチュアリー」も増えていると思います。