6.なぜ√は正の方だけ表すのか−数学史による考察

ところで、なぜ√が正の方だけを表しているのでしょうか?
ここでは数学史の観点から考えてみたいと思います。


ご存知のとおりピタゴラス(B.C. 582 - B.C. 496)の定理の時代から\sqrt{2}に当たるものの「存在」は認識されていました。
問題は、平方根の記号にあたるものがいつごろから導入されたかですが、
上垣渉先生(三重大学教育学部数学教室)、佐藤あつ子先生(津市立西橋内中学校)の
平方根の指導に関する一考察 : 数学史からの知見に依拠して」(2000)
http://miuse.mie-u.ac.jp:8080/handle/10076/4218
によると

ルート記号の起源と歴史については、フロリアン・カジョリ(FlorianCajor,1859〜1930)の名著『数学的表記法の歴史』(A HISTORY OF MATHEMATICALNOTATIONS)に詳しく記述されている。この著書によれば、古代エジプトのカフン・パピルスには「『」が平方根の記号として使用されていたとのことである。
また、インドのブラフマグブタ(7世紀)はいろいろな言葉の縮約を数学記号として使用していて、平方根の場合は、無理(surd)という意味の言葉である「carani」の頭文字「c」を用いて、\sqrt{18}+\sqrt{3}が「c18c3」と書かれている…
(p61)

とあります。


一方負数の導入については、
上垣渉先生の
「負の数と方程式の指導に関する数学史的考察」(1997)
http://miuse.mie-u.ac.jp:8080/handle/10076/4535
によると次のように記載されています。(引用がやや長くなりますが…)

[5]負の数の出現
さて、歴史上における負の数の出現も、この方程式の扱いに関する歴史的順序と深い関係をもっているのである。
(中略)
ディオファントスは、2次方程式を3つの型に分類して解いたが、中世初期アラビアの有名な数学者であるアル=フワーリズミー(780?-850?)はその主著である『アル・ジャブルヴァ・ル・ムカーバラ』(Al-jabr wa'l muqabalah)において
(中略)
解法には幾何学的な説明がっけられており、したがって、当然のことながら、負の数は登場してこないのである。
これに対して、インドでは、天文学での計算の必要性から2次方程式が一般的に解かれていたと言われている。インドの有名な数学者・天文学者であるブラフマダブタ(598-660?)は、彼が30歳のときに著した天文学書『ブラーフマスブタシッダーンタ』(628)の第18章「クッタカ」において2次方程式を扱い、ax^2+bx=cについて、今日のいわゆる"解の公式"の一部
である、
x=\frac{\sqrt{b^2+4ac}-b}{2a}
を得ている。
これを用いる限り、当然のことながら負の数が登場してくる。しかし、負の数が出てきても、それは「方便的な数」としての扱いしか受けず、最後の答えについては、必ずしも負の数が認められたのではなかった。後に、12世紀の数学者バースカラ2世(1114-1185頃)に至って、ax^2+bx+c=0の左辺を完全平方に導いて解く近代的な方法が示され、2根を採用した上で、その根を解釈した後、題意に適するものをとる方法が確立されたのであった。
一方、古代中国では、『九章算術』の巻第八で"方程"が扱われている。その内容は実質的に方程式解法であるが、同時に「正負のまじりあい」でもある。(中略)この「方程」章には「正負術」という項が置かれており、劉徴の注釈によれば、「いま二種の算の得失は相い反するから、つまるところ正と負で名付ける。そして正算は赤、負算は黒を用う。」と解説されている。

中国数学史に詳しい薮内清は次のように述べている。


この方程章には正負術というものがあるが、正数および負数の加減に言及したもので、計算の過程についてだけであるが、負数を取り扱っていることば注目に値する。ヨーロッパで負数が正数や零とともに数字に数えられるようになったのは、17世紀のデカルト以後である。
中国では数字として負数を取り扱うことなく、方程式の根を求める場合も正根だけが取り扱われているのであるが、負数の表示と正負相互の加減法則はすでに『九章算術』の時代から知られていたのである。


このように中国でも、答えとしては正の数しか認めていないから、負の数は「方便としての数」として扱われてきたと言うことができる。
(p5〜6)

とあります。


これらを見ると、少なくとも西洋では、
負の数が正式な数として認められるずっと以前に平方根の記号(の前身)が導入
されており、したがって、
平方根の記号(√)が正の方だけを表すのは歴史的な事情による要素が大きい
のではないかとも考えられるのです。

このような(根号の出現が負数の出現より前という)歴史的な流れから(x>0のとき)\sqrt{x}
プラスの方だけ
という「認識」を持っている人が多いので
コミュニケーションを円滑に行うため」には「\sqrt{x}プラスの方だけ」としたほうが都合がよい
とも言えるのではないかと考えます。