1.はじめに

\sqrt{x}(√x;ルートx)の定義」
を巡って週末Twitter等でいろいろ議論が交わされました(私も参加しましたが)。


それらについては

tb_lbさん
http://tblb.blog.shinobi.jp/Date/20100124/
(2010/1/30)順番変更。下のtogetterの「まとめ」から「一部」の投稿が削除されたので、発端がわかる当該ブログを先頭にいたしました。

木村巌先生
http://iwaokimura.blogspot.com/2010/01/x.html
http://togetter.com/li/3833

結城浩さん
http://www.hyuki.com/d/201001.html#i20100123112248

てなさくさん
http://www.tenasaku.com/tenasaku/tepipi/diary201001.html
(この項2010/1/26に追加)

(2010/1/30)てなさくさんの「日記」から当該記述が削除されているのを確認したので「取り消し」いたします。

などが優れたまとめをされていて、「屋上屋を架す」かも知れないのですが、
ここでは
数学における「定義」
について改めて考えてみたいと思います。

2.「定義」とは何か

(a)
Wolfram Mathworldの「Definition」
http://mathworld.wolfram.com/Definition.html
を読むと、

Definition

A definition assigns properties to some sort of mathematical object. For example, Euclid's Elements starts with a number of definitions, such as "a line is a breadthless length." After definitions, Euclid gives postulates or axioms. Based on these, he provides a number of proofs and constructions.

(試訳:
「定義」とは、ある種の数学的な「対象」にその「特性」を与えるものである。例えば、ユークリッドの「原論」とはいくつかの「定義」−例えば、「線とは幅がなく長さを持つものである」といった具合−から始まっている。「定義」の次に、ユークリッド公準(postulate)又は公理(axiom)(訳者注:証明することなく真であると考えて議論を進める命題)と呼ばれるものを提示している。これらの定義及び公準又は公理に基づき、ユークリッドはいくつもの証明を行い議論を組み立てている。)

とあります。

(b)
Wikipediaの「定義」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E7%BE%A9
を見ると

一般にコミュニケーションを円滑に行うために、ある言葉の正確な意味や用法について、人々の間で共通認識を抱くために行われる作業である。


なかなか難しいのですが、ここでは、
「コミュニケーションを円滑に行うために数学の記号や数式等について、(数学を取り扱う)人々の間で共通認識を抱くために行われる作業」
を数学における「定義」と呼ぶことにして話を進めます。

3.「よくない定義」の例

以下「よくない定義」の例を考えてみましょう。

(1)定義されるべき対象が存在しない「定義」

例えば{0倍して1になる数の集まり}がその例です。(どんな数でも0倍すると0だから)
数学でもある(数学的)対象を定義したときにそのような「対象」が本当に存在するのかを証明することがあります。(存在の証明)

(2)何を定義したのか曖昧な「定義」

例えばxを実数にするときに「F(x)」で「xより遥かに大きい数」というのを「定義」したとしてもこの定義では「遥かに大きい」という基準が人によって違うので定義になっていません。

(3)人によって違うものを特定してしまう可能性のある「定義」

「3時」と待ち合わせ時刻を「定義」した場合に、何日の3時なのか、午前なのか午後なのかをはっきりしないと困ります。(文脈から明らかな場合もありますが)
数学でもある(数学的)対象を定義したときにそのような「対象」が(何らかの条件の下で)一種類に決まることを証明することがあります。(一意性の証明)
もっとも2つ以上の要素をもつ1つの「集合」を定義することは可能であり、
例えば{自然数全体の集合}を\mathbb{N}と記述します。*1

(2010/1/26 追記)
esumiiさん
http://twitter.com/esumii/status/8214452464
から

「存在しないもの」を定義する(表記する)ことも可能です(大ざっぱには「空集合」と考える)。ヒルベルトのε計算 http://j.mp/5OleGp は、まさにそれを正当化する論理的体系です。

とのコメントをいただきました。

(4)中途半端な「定義」

y=f(x)を実数から実数への関数とするときに、M(f)f(x)の極大値と定義しただけでは不十分です。
「極大」とは何かを定義しなければいけません。
(日本語から凡そ想像の付く場合もありますが)

(5)定義すべき「全部」に対して定義が網羅されていない「定義」

東京大学の入試問題(「(付録)」で述べます)で一般角の三角関数を「定義」させ、加法定理を証明させるというのがありましたが、0°〜180°(0〜π)で定義しただけでは一般角(マイナスも含めあらゆる「角度」)で定義したとはいえないのでNGです。
ここで大事なことは、
定義をするときは通常「どこで定義」するかを明記しなければいけない
ことです。
例えば、
n!=1 \times 2  \times \cdots \times n
と「定義」しますが、
その前に必ず「n正の整数のとき」と前置きが入ります。
そうでないとn整数でない数のときや負の数のときにはこの式では計算できないからです。*2
(上記(1)、(4)でどこで定義するかの「前提」が書いてあることに注意しましょう)
関数を「定義」する場合はどこで定義するかの範囲を「定義域」といいます。

(6)「定義がうまくいって」いない(「well-defined」でない)「定義」

これは少し難しい話になりますが、分数の足し算を例に説明します。
分数は
\frac{a}{b}
a,bは整数、bは0でない)
という形で表されるものですが、
\frac{a}{b}+\frac{c}{d}=\frac{a+c}{b+d}
と「定義」すると少し具合の悪いことが起こります。
この定義だと
\frac{1}{2}+\frac{1}{3}=\frac{1+1}{2+3}=\frac{2}{5}
ですが、
\frac{1}{2}
と同じものと考えられる
\frac{2}{4}
に置き換えた場合に、
\frac{2}{4}+\frac{1}{3}=\frac{2+1}{4+3}=\frac{3}{7}
と違った答えになってしまいます。
\frac{a}{b}+\frac{c}{d}=\frac{ad+bc}{bd}
という通常の足し算だと、
\frac{1}{2}
の代わりに
\frac{2}{4}
を持ってきてもうまくいくことが分かることが確かめられます。
数学ではある「チーム」*3の「代表選手」*4でその「チーム」の性質を定義することがしばしばあるのですが、その場合に同じチームに属する他の選手でも同じ結果が出るのか確かめなければいけないことになっています。*5
このようなことを「well-defined」(名詞形は「well-definedness」)といいます。*6

(7)既存の定義の自然な拡張になっていない「定義」

これは絶対駄目というわけではないですが、できれば避けたいという意味です。
例えば、さきほどの分数の足し算で
\frac{a}{b}+\frac{c}{d}=0
(どんな2つの分数を足しても全部0)
と定義することも不可能ではない*7(これを「新足し算」ということにします)のですが、
整数a,cを分数
\frac{a}{1},\frac{c}{1}
と考えた場合に「新足し算」の定義による結果が整数の足し算a+cの結果とは一致しないのはなんとも気持ちの悪いところです。
なぜならば、x+yと書いたときにx,yが整数なのか、分数なのか一々考えないといけなくて面倒だからです。
\frac{a}{b}+\frac{c}{d}=\frac{ad+bc}{bd}
という通常の足し算がb,dが1のときに普通の整数の足し算と同じになり、ことは容易に確かめられます。
そうすれば、x+yと書いてもx,yが整数なのか、分数なのか一々気にしなくてよいという利点があります。

*1:もっとも「自然数」とは何かということが問題になるのですが、ここではとりあえず置くことにします。ご興味のある方は「ペアノ(Peano)の公理」等で検索してみてください。

*2:なお、nが0の場合には0!=1と定義(約束)します。x(の実部)が-1以上の数の場合はガンマ関数\Gamma(x+1)への拡張が可能ですが、そうでない場合は「定義」できません。

*3:数学用語では「同値類」

*4:数学用語では「代表元」

*5:数学用語では「代表元の取り方によらない」

*6:日本語で言うと「定義がうまくいっている」(こと)ですが、英語の表現がそのまま使われることが少なくありません。

*7:上記のwell-definednessはクリア

4.よい定義とは

上記の(1)〜(7)に該当しなければ「よい定義」と言わざるを得ないのではないか
とも考えられます。

ただし、「定義」を「人々の間で共通認識を抱くために行われる作業」としたことを想起すると、
より「多くの『人々の間で共通認識を抱』」かれる定義の方がより「よい定義」
だとも考えられます。

(2010/1/26 追記)
藤若亜子さん
http://twitter.com/akof/status/8192496575
から

私の意見としては「『よい定義』の定義」に、全面的な賛同はしかねます。

とのコメントをいただきました。
「よくない定義」の対立概念として「よい定義」と書いたのですが、それがよくなかったのかもと考えています。

5.√xの定義

さて、問題の\sqrt{x}の定義について考えるのですが、その前にxの定義をしなければなりません。

木村先生は、上記のブログで

前後の文脈を補い,必要に応じて記号を導入して,正しく述べることです.
例えば「√xの定義を述べよ」と言われたときに,「xを実数とする」などのように文脈を補うこと,そして,xが正,0, 負の場合を尽くして,正しく解答する.

と言われていますが、これは、特に中学生、高校生の方々には、すぐにはできない話だと思われます。
実際にその後で

数学科の4年次のセミナなどでも口を酸っぱくして指導することの一つです

と書かれています。*1

恐らく「\sqrt{x}の定義」を出題された高校生は、「xの定義」に戸惑ったのではないかと考えます。
マイナスの数に対しては普通\sqrt{-1}のような書き方はしないことが多いのですがすることもあります
また、高校1年生のこの段階では実数でない数(虚数複素数)も習っているはずなので、xがそのような数の場合どうすればいいのか迷ったとも考えられます。
彼らは
xを実数とするとき、\sqrt{x}=2-xを解け
という問題であれば、全く苦も無くクリアできた可能性もあったのではないかと思われます。*2


以下x正と「限定」します。
このとき\sqrt{x}を「二乗してxになる2つの数」ということで定義しても、即「よくない定義」ということにはならないと考えます。
「(3)人によって違うものを特定してしまう可能性のある『定義』」に該当しそうですが、「2つの数」を一まとめにして(2つの数から構成される1つの集合として)指定すればここもクリアできます。(この段落の後半で述べていることに該当します)*3
例えば\sqrt{4}でAさんが2を想起し、Bさんが-2を想起するとまずいということもありますが、その場合は別の記号を定義すれば解消可能で、\sqrt{x}2つの数を定義しているということが「よくない定義」には直結しないと考えます

*1:なお、このことについて木村先生にtwit http://twitter.com/actuary_math/status/8165819322 したところ、「文脈を補うのは確かに難しいと思います.ただこれは,抽象概念を扱うとか,複雑な≡操作を行うとか言う難しさではなく,自分で正しいと思う事を主張する,という経験不足から来ている事だと思います.指導が伴えば,中高生にも出来ると思います.いきなり√xの定義を正しく述べるとか,自分の言っていることが論理的に首尾一貫してないことに直ちに気がつくとか,そういうことを多くの中高生に期待することはできないと,私は思いますけども.」 とのお言葉 http://twitter.com/iwaokimura/status/8178654199 http://twitter.com/iwaokimura/status/8178895639 を頂戴しています。

*2:両辺2乗するとx=x^2-4x+4でこれを解くとx=1,4ですが、x=4だと\sqrt{4}=2,2-4=-2なので不適∴x=1

*3:1つの記号で2つ以上の対象を指定することはごく一般的に行われます。例えば\pm 1

6.なぜ√は正の方だけ表すのか−数学史による考察

ところで、なぜ√が正の方だけを表しているのでしょうか?
ここでは数学史の観点から考えてみたいと思います。


ご存知のとおりピタゴラス(B.C. 582 - B.C. 496)の定理の時代から\sqrt{2}に当たるものの「存在」は認識されていました。
問題は、平方根の記号にあたるものがいつごろから導入されたかですが、
上垣渉先生(三重大学教育学部数学教室)、佐藤あつ子先生(津市立西橋内中学校)の
平方根の指導に関する一考察 : 数学史からの知見に依拠して」(2000)
http://miuse.mie-u.ac.jp:8080/handle/10076/4218
によると

ルート記号の起源と歴史については、フロリアン・カジョリ(FlorianCajor,1859〜1930)の名著『数学的表記法の歴史』(A HISTORY OF MATHEMATICALNOTATIONS)に詳しく記述されている。この著書によれば、古代エジプトのカフン・パピルスには「『」が平方根の記号として使用されていたとのことである。
また、インドのブラフマグブタ(7世紀)はいろいろな言葉の縮約を数学記号として使用していて、平方根の場合は、無理(surd)という意味の言葉である「carani」の頭文字「c」を用いて、\sqrt{18}+\sqrt{3}が「c18c3」と書かれている…
(p61)

とあります。


一方負数の導入については、
上垣渉先生の
「負の数と方程式の指導に関する数学史的考察」(1997)
http://miuse.mie-u.ac.jp:8080/handle/10076/4535
によると次のように記載されています。(引用がやや長くなりますが…)

[5]負の数の出現
さて、歴史上における負の数の出現も、この方程式の扱いに関する歴史的順序と深い関係をもっているのである。
(中略)
ディオファントスは、2次方程式を3つの型に分類して解いたが、中世初期アラビアの有名な数学者であるアル=フワーリズミー(780?-850?)はその主著である『アル・ジャブルヴァ・ル・ムカーバラ』(Al-jabr wa'l muqabalah)において
(中略)
解法には幾何学的な説明がっけられており、したがって、当然のことながら、負の数は登場してこないのである。
これに対して、インドでは、天文学での計算の必要性から2次方程式が一般的に解かれていたと言われている。インドの有名な数学者・天文学者であるブラフマダブタ(598-660?)は、彼が30歳のときに著した天文学書『ブラーフマスブタシッダーンタ』(628)の第18章「クッタカ」において2次方程式を扱い、ax^2+bx=cについて、今日のいわゆる"解の公式"の一部
である、
x=\frac{\sqrt{b^2+4ac}-b}{2a}
を得ている。
これを用いる限り、当然のことながら負の数が登場してくる。しかし、負の数が出てきても、それは「方便的な数」としての扱いしか受けず、最後の答えについては、必ずしも負の数が認められたのではなかった。後に、12世紀の数学者バースカラ2世(1114-1185頃)に至って、ax^2+bx+c=0の左辺を完全平方に導いて解く近代的な方法が示され、2根を採用した上で、その根を解釈した後、題意に適するものをとる方法が確立されたのであった。
一方、古代中国では、『九章算術』の巻第八で"方程"が扱われている。その内容は実質的に方程式解法であるが、同時に「正負のまじりあい」でもある。(中略)この「方程」章には「正負術」という項が置かれており、劉徴の注釈によれば、「いま二種の算の得失は相い反するから、つまるところ正と負で名付ける。そして正算は赤、負算は黒を用う。」と解説されている。

中国数学史に詳しい薮内清は次のように述べている。


この方程章には正負術というものがあるが、正数および負数の加減に言及したもので、計算の過程についてだけであるが、負数を取り扱っていることば注目に値する。ヨーロッパで負数が正数や零とともに数字に数えられるようになったのは、17世紀のデカルト以後である。
中国では数字として負数を取り扱うことなく、方程式の根を求める場合も正根だけが取り扱われているのであるが、負数の表示と正負相互の加減法則はすでに『九章算術』の時代から知られていたのである。


このように中国でも、答えとしては正の数しか認めていないから、負の数は「方便としての数」として扱われてきたと言うことができる。
(p5〜6)

とあります。


これらを見ると、少なくとも西洋では、
負の数が正式な数として認められるずっと以前に平方根の記号(の前身)が導入
されており、したがって、
平方根の記号(√)が正の方だけを表すのは歴史的な事情による要素が大きい
のではないかとも考えられるのです。

このような(根号の出現が負数の出現より前という)歴史的な流れから(x>0のとき)\sqrt{x}
プラスの方だけ
という「認識」を持っている人が多いので
コミュニケーションを円滑に行うため」には「\sqrt{x}プラスの方だけ」としたほうが都合がよい
とも言えるのではないかと考えます。

7.√の定義と「論理的な破たん」

さて、
http://twitter.com/noricoco/status/8094239937
http://twitter.com/noricoco/status/8094271792
では

彼らは、(1)4=x^2をみたすxを求めなさい、という問題には、正しく2,-2と回答する。(2)√4はいくつですか?と聞くと、2と正しく答える。(3)が、√xの定義はなんですか?と聞くと、二乗するとxになる数と答える論理的な破たん

とあって確かに
「√4はいくつですか?と聞くと、2」
と言える人(-2という答えを排除した人)が
「√xの定義はなんですか?と聞くと、二乗するとxになる数と答える」
(負になる可能性を排除できない)
のには、「論理的なギャップ」もあるとも言えないことはないと考えますが、
その「ギャップ」は、数学以外に例えると、
Tom loves Mary.
と「三人称・単数・現在」のsを付けられる人が
He love her.
と「三人称・単数・現在」のsを付けられなかったという程度の話だとも考えられ、「論理的な破たん」とまで言っていいのかは議論の余地があるところだと考えられます。

8.「円周率の定義」に関する考察

以上のことは、
http://researchmap.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=journal_view_main_detail&post_id=2042&comment_flag=1&block_id=78#_78
の本文とコメントで言及されている
「円周率πの定義」
というところで一層はっきりします。
(本文)

円周率πの定義が明確に言えるのは、中高大・社会人含めて半数を切ります。

(コメント)

ここでは、「円周率の定義」は、小学校5年生の「直径を1としたときの、円周の長さ」「円周の長さと直径の比の値」を正解としました

要するに小学校5年生の教科書での記述や先生が教えてくれた(はずの)ことを覚えているかどうかが問われているようです。

実は円周率の「定義」は大変難しいのです。*1
コメントで書かれている

なぜ円の大小によらず円周率がひとつに定まるのか

という点はもちろんのことですが、そもそも曲線の「長さ」をどう定義するか*2ということに高校までの数学ではまったく答えが出せません*3
それを考えることはほとんど「積分」を厳密に考える(高校で習うような微分の逆演算ではなく)ことになり、やはり大学の数学レベルの話になってしまいます。
また、円と関係なく例えば級数極限値としてπを定義することも不可能ではなく、そういう定義を正解として扱うのかという問題もあります。


ただし、

「直径を1としたときの、円周の長さ」「円周の長さと直径の比の値」

「共通認識を抱く」「人々」が一番多い(半数を切ったとしても)ことは確かだと思います。


(2010/2/3 追記)
twitterで崎村夏彦(_nat)さんから
http://twitter.com/_nat/status/8545519818

サージ・ラングの「さあ、数学しよう」(引用者注: isbn:4000055100 であると考えられます。)だったけな?そんな本があります。彼が小中学生に講義した講義録なんですが、良いですよ。πを半径1の円の面積とするのも、そこから。

と教えていただきました。
該当の記事
http://www.sakimura.org/modules/wordpress/index.php?p=666
とともに御紹介いたします。

*1:なお、√の「定義」もそれほど(πほどではないですが)簡単ではなく、例えば、\sqrt{2}を方程式x^2-2=0の解のうち正の方と「定義」するとして、そのような方程式の解が本当に「存在」するのか実は自明ではありません。そういうのを実数や関数の連続性を「定義」し、そこから「証明」したりする(いわゆる「実数論」)のが(数学科の)大学1年の授業だったりします。

*2:それ以前に直線の「長さ」から考えるべきかも知れませんが、それを追究すると数学科の大学3年位で履修する測度論(またはルベーグ積分論)まで行ってしまいます

*3:小学校でやっているような、円の周りに糸を巻きつけてその長さを測るとかいうのは、実生活上の知恵としてはそれでいいのですが、理論的な「定義」としては、そうやって巻いた糸が正確に円形になるということはありえないので採用できません。

9.数学以外の教科の例

さて、数学以外の教科に話を転じると、例えば小学校で鎌倉幕府の成立年(1192年といわれています)を「いい国作ろう鎌倉幕府」と覚えますが、どうして1192年(と歴史家が判断したの)か、私は小学校のときはもちろん今に至るまで分かりません。失礼ながら皆様の多くも同様ではないかと思われます。
恐らく古文書等の記述を読み取った結果そうなっているのだと思いますが、古文書を小学生に読ませることはまったく現実的ではなく、興味をもたれた方が文学部の史学科等に行かれ履修・研究すればよいのだと思います。

10.まとめ

円周率の「定義」とかいうのも上記の「いい国作ろう…」と同様の話なのではないかと考えます。
小学校から高校までの算数・数学の基礎となる部分で、
それを徹底的に追究するとなると大学の数学科以上での議論になる
事項が少なからずあり、それらについては、知識として覚えなければいけない(時には暗記を伴う)と考えます。

そのような知識として覚えなければいけない部分について、
「論理的」かどうかを問えるのか
検討の余地があるのではないかと考える次第です。

(付記)

ご参考までに東京大学(1999年、文理共通)で出題された「一般角の三角関数の定義と加法定理の証明」問題をご紹介いたします。

(1)一般角\thetaに対して\sin \theta,\cos \thetaの定義を述べよ。
(2)で述べた定義にもとづき,一般角\alpha,\betaに対して
\sin(\alpha+\beta)=\sin\alpha \cos \beta+\cos\alpha \sin \beta
\cos(\alpha+\beta)=\cos\alpha \cos \beta-\sin\alpha \sin \beta
を証明せよ。

この問題のポイントは単に定義を答えさせることではなく
一つの「定理」(加法定理)が証明できるに足る定義ができるかどうか
ということです。(当然ながら三角関数の定義の方法も様々です)

解答例は、例えば、
http://www.densu.jp/tokyo/99tokyossol.pdf
でご確認ください。

(アクチュアリー受験者の皆様への業務連絡とメッセージ)

まず業務連絡です。
前もご紹介した「たま」さんのブログで会計・経済・投資理論の解答、解説がアップされましたのでご覧ください。
http://albert0302.blog43.fc2.com/blog-entry-261.html


さて、本文の(\sqrt{x}の)定義の問題をアクチュアリー(候補)としてはどう考えたらよいでしょうか?


それは木村先生が述べられている
「前後の文脈を補い,必要に応じて記号を導入して,正しく述べることです.
例えば「√xの定義を述べよ」と言われたときに,「xを実数とする」などのように文脈を補うこと,そして,xが正,0, 負の場合を尽くして,正しく解答する.」
に集約されると思います。

アクチュアリー試験においても
例えば去年の試験
http://d.hatena.ne.jp/actuary_math/20100103
の問題1(7)のように
「ジュースの量自体の誤差と測定誤差は独立で、正規分布に従う」
補ったりしないといけないことはしばしば登場します。
試験以外であれば相手に確認を求めることも有効な手法ですが、試験では質問が許されないので、そのような補完する力が重要になることがあります。
また、実務においては、
「コミュニケーション」の相手が数学をよく知らない人が多いのでその説明にはなおさら慎重を期すべきだと考えます。
http://d.hatena.ne.jp/actuary_math/20090331 等もご覧ください)

0.サマリー

(2010/1/26:追記)
Satie Moonlightさんから
http://twitter.com/tsatie/status/8190406603

言葉を尽くすと同じ罠に嵌ります。所謂ミイラ取り。

との御指摘も受けたので200字作文(140字にしようとしたが失敗)でまとめます。

√xの定義を聞かれた高校生が非負に限定しなかったことが論理的破綻として取り上げられたが、xの範囲が不明確だったことが高校生を混乱させた可能性もある。√xの定義を非負に限定しなければならない論理的必然性は見出し難く、負数の使用が√の前身の記号の使用より後という歴史的な事情もある。円周率πの定義のように高校までの数学にはいくつか論理的な厳密性を欠き「知識」として覚えなければならない部分も存在している。
(200字)